閑散期だからこそプラスに考える

 今月に入り、売上が上がらずに仕事で悩むことが多くなってきました。

居酒屋で働く私ですが、この時期の売上は、寒さのせいか、2月という落ち込む時期というのもあると思いますが、これだけ落としてしまうと、人件費管理や仕入れ管理が非常に難しくなってきます。

 また、社員一名体制の居酒屋であとはみんなアルバイトスタッフ。この時期は、学生のアルバイトの卒業の時期で入れ替わりの時期にもなります。

 つくづく思うのが、新人をどう育てていくのかという事。人によってできるできないはあるのですが、これまで作りあげてきたベースを落とさないように慎重に成長させていかなければなりません。

 特に飲食業は人手不足もあり、誰でも雇用してしまう傾向もあります。

どんな子が入社してきても、基盤を崩さずに、そして人間としても成長できるそんな環境を日々考えながら営業を行っているのですが、売上が上がらない時期は、暇の中での訓練になるので、本当に難しいですね。

 

お客様に飽きられないように変化を考えながら、そしてスタッフの教育と毎日頭が痛くなるのですが、自分が下を向いて疲れているとそのまま営業に影響してしまいますので、とにかく前向きにこの閑散期と言われる2月の営業を乗り越えていきたいと思います。

新年会の喜びは会長のお話し

 先日は、会社の新年会が行われました。

私は、現在本社から遠い遠隔地に所属していますので、新年会の会場までが遠く、あまり乗り気になれない状態でした。しかし、そんな集まりの時でないと会社の幹部の方や社員の方々に会う機会がないので、とにかく楽しむと決めて参加させて頂きました。

 

私達の会社では、

社員1名で店を任されるので、ほとんど社員の方々に会うこともなく、また遠隔地での出店が増えているため、知らない社員さんも多いわけです。

 

ですから、新年会となるとまずは自己紹介的な事から進んで行きます。

もう長い年数働いている社員さん達とは、愚痴の言い合いになるのもまた一つ楽しみで恒例になっています。

 

そんな新年会で唯一の楽しみは、会長のお話を聞けることですね。

やはり、会社の組織にいるのは、会長の考え方に賛同し、憧れがあるというのは間違いないですし、尊敬しています。

 

久々にお会いし、お話しさせて頂くと、

更に大きくなっていて、考え方や今後についてもしっかりとしたビジョンが出来上がっていました。

 

お話を聞けば聞くほど、

やる気になって、この会社の為にやってやろうという気持ちは高ぶります。

そして、

モチベーションが上がりますよね。

 

お酒を飲みながら、話をしているとすぐに時間がたって、終了となりましたが、

非常に楽しい新年会となり、満足し店舗に戻ることができました。

友人と趣味の釣りに船で沖にでる

 私の趣味は、釣りです。仕事が休みになると海に釣りに行き、リフレッシュしています。海に行くと景色が良く、釣れない釣りをしているとどうすれば釣れるのか試行錯誤考えて試していきますので、思考回路も良くなり、仕事での発想など沸いてくるものです。

 そんな、プラスになる釣りですが、先日、小さな頃から仲の良い友人から連絡が入り、船で釣りに行こうと誘いを受けました。友人は、居酒屋を営んでおり、船を持ち魚を仕入れに行きます。友人としては、仕事になるでしょうが私にとっては船で行ける事への楽しさと喜びしかありません。

 船釣り当日の朝は早く、夜中の3時に港に集合となりました。

寒さの中、船に乗り込み、二人で出発。寒さと風であまり会話はできませんでしたが、ワクワク感で気持ちが高ぶっていました。

 友人の穴場とやらに到着し、餌をつけ竿を出すとすぐにあたりがあり、次々と魚が釣れます。一時間くらいすると、あたりが止まり、別の場所に移動。するとまたしても、入れ食い状態で、場所を移動を繰り返しながら、二人で150匹ほど釣り上げることに成功。そのまま港に戻り、友人の居酒屋に行くと、釣りたての魚で刺身定食を作ってくれました。この魚の新鮮さとぷりぷり感がたまりませんよね。

 

発想力を磨き、思考回路を良くし、リフレッシュできる釣りは本当に最高ですね。ちなみに、釣りの後のお酒も最高です。

経営学を学んだ大学4年間

高校生の頃スーパーの八百屋で商売の面白さを知った私は、高校卒業と共に、経営学部のある大学に進学しました。

大学で初めて実家をでて一人暮らしが始まったのもこの頃です。

田舎育ちの私が大学進学と共に都会に出ると、知らない事ばかりで始めは、バスの乗り方、電車の乗り方に苦戦したことを思い出します。

 

大学では、ベンチャービジネスを選考し、新たなビジネスについて学ぶ毎日が始まりました。面白いと思った事は、高校生までは興味のない教科も学ばないといけませんでした、大学では興味のあるものだけを選考し学べるので勉強が非常に楽しかった事です。

 

人間好きな事にはとことん夢中になれますよね。

 

経営学ベンチャービジネスを学びながら、

大学4年生の頃は、九州支部の大学が集まるゼミナール連合会の会長に推薦され、一年間、会長として架空の会社を設立し、社長として活動させて頂きました。

架空の会社いえども、ある企画を成功させないといけません。

会計学専門の生徒に交渉し、会計をお願いし、あらゆる課を作り約180万円という高額な資金を集め、その企画を行いました。

 

約500名規模のゼミナール討論大会を成功させるというプロジェクトでしたが、見事にこの大会を成功させることができ、その後は、ベンチャービジネス論の講義で研究発表など学校側から表彰を受けました。

 

そんな大学4年間も私にとって本当に内容の濃いひとときとなったのです。

高校生で学んだマネジメント

中学生で野球部のマネージャーを学び、高校に入学し、高校での野球部のマネージャー業を行うと考えていましたが、病気で迷惑をかけてきた分、アルバイトをして少しでも恩返しをしたいと地元にあるスーパーでアルバイト行う事にしました。

このころ、少しずつ体調も良くなってきていたこともあり、スーパーでのアルバイトも沢山入ることができました。

始めに、行ったのが野菜売り場の仕事。バックヤードで野菜を袋に詰める作業でしたが、ある日、店長から1つの袋を何秒で作ることができるのかで生産性が全く変わってくるという話を聞き、そこからスピードと正確性を自分なりに強化し、認めてもらうことに成功。それから、売り場の野菜を見て売れる商品と値引きする商品のコントロールを行い、高校3年生の頃は、駐車場にテントをだし、小さな野菜市場を店長に作って頂き、任せられることに。この経験が私にとってすごく商売に対する考え方を教えてくれました。テント内での売り上げも過去最高の売上を上げることができ、商売の面白さを知ったのもこの頃です。

どうすれば、お客様が買ってくれるのか、どのような商品は買わないのか、売れ残った商品をどうすれば売れるのか、自分の中でメモを取りながら、店長に相談し、売れるコツをあみだしていくのです。

その面白さに魅了された私は、スーパーを経営したいという気持ちが強くなり、そのままスーパーへの就職も考えましたが、経営学部のある大学に進学することにしました。

大学には、面接で一発合格。

それから、経営学を学ぶ大学生活がスタートしたのです。

中学生で学んだマネージャーの役割

 小学生の頃野球少年として毎日将来のプロ野球選手に向けて、練習を続けてきましたが、小学5年生で腎臓の病気で8か月間の入院生活、そして運動をしてはいけない体となりました。それでも、6年生の最後の試合は、親に内緒で、監督には嘘をついて、試合にでてピッチャーとして一番強敵だったチームに勝ったのは、忘れることのできない思い出となりました。

 簡単に体をごまかすことはできず、試合が終わってすぐに体の調子を崩し、2回目の入院となりましたが、悔いのない小学生時代でした。

 中学校に入り、野球をやりたかったのですが、運動をしてはいけない体となり、全員部活動に入らないといけないという学校の方針もあって、あまり運動をしないで良いとイメージのあった卓球部に入ることにしました。しかし、練習を見ているとすごくハードワークで、1年生の頃はマネージャー業をさせて頂き運動をしなくて良いようにして頂きました。そんな1年間を振り返ると、やっぱり好きな野球のマネージャーの方が良いと思い、先生に相談し、2年生から異例ではありましたが野球部に移り、本格的にマネージャーとして活動を始めました。もちろんやりたい気持ちも高ぶりましたが、我慢して今度は最強のマネージャーを目指し、様々な著書を読み、自己啓発を学び、3年生の頃は、チームが一丸となり、県大会でベスト4と過去最高の成績を収めたことは、私の野球人生で本当に良い思い出となりました。

野球少年だった私を襲った病気

私が小学生の頃は、本当に野球が好きでプロ野球選手という夢を持っていました。

たまたま、小学校が家の隣にあるということもあり、

保育園の頃から、夕方は小学校のグランドに行ってボール拾いを行っていました。私の小学校では通常は、3年生から少年野球に入ることができるのですが、ボール拾いなどを行っていたこともあり、1年生の頃から野球チームに加えて頂きました。

体が小さかったので、打つのは苦手だったのですが、守備と肩の強さだけは自信がありました。いつも、練習が終わった後も親父がグランドに来てノックをしてくれたり、暗くなっても家に戻り倉庫でキャッチボールを行ってくれました。おかげで、4年生でセカンドのレギュラーを取ることができ、5年生でピッチャー、ショートとして試合に出ることができました。5年生の頃は、すでに中学校の練習にも呼ばれるようになり、野球が一番楽しくて仕方がない時期となりました。

 

しかし、良いことばかりでなく、ある日血尿がでてそこから、なんと入院生活となりました。しかも、運動禁止で絶対安静。入院はそこから8カ月に及ぶものでした。

6年生の初めに退院できたのですが、運動はもちろん禁止、しかし、野球の練習は毎日見にいき、自分の思いをチームに伝え、一緒に強いチーム作りを行いました。

楽しくて辛い小学生時代でしたが、

本当に心の勉強となりました。